西浦特急 鉄道と旅のブログ

鉄道・飛行機などで国内外を旅行した様子のほか、鉄道を中心に交通全般の話題を取り上げます。

【特急うずしお13号乗車記】遠回りを克服?岡山直通の意義を考える。(岡山11:05⇒徳島13:04)

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JR西日本岡山駅。今回はここから徳島へ向かう特急列車「うずしお号」に乗車します。

 

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岡山駅改札口の発車表示。

発着する路線の数が多いだけでなく中国・四国各県への特急列車や快速マリンライナーの発車時刻がならび、地方都市の駅としては破格の華やかさを誇っています。

乗車する徳島行の特急「うずしお13号」は左上端ですが、表示内容が示すように高知行の「南風号」と併結された状態で岡山を発車します。

また右上端には鳥取行「スーパーいなば5号」の表示がありますが、その発車時刻は南風・うずしお号と同時刻の11:05、さらに時刻表を確認すると伯備線経由の特急やくも9号出雲市行も11:05同時刻発車となっています。

新幹線のダイヤを見ると東京駅7:30発、名古屋駅9:10発の「のぞみ11号」の岡山到着が10;47となっており、3つの特急列車への乗り継ぎができるようになっています。

それぞれのダイヤを比較すると「うずしお13号」は高松に12:03、終点徳島に13:04に到着するのに対し、

スーパーいなば5号は終点鳥取に12:53、やくも9号は米子に13:17、松江に13:41、終点出雲市に14:12に到着します。

 

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6番線に停車中の「南風・うずしお号」編成。進行方向前寄り3両が高知行南風号、後寄り3両が徳島行うずしお号です。

寝台特急サンライズエクスプレス出雲号、瀬戸号の岡山における編成分割と違い、「南風号」と「うずしお号」は四国最初の停車駅「宇多津駅」で切り離されたのち、それぞれ反対方向に向けて発車するので連結順序を逆にすることは不可能です。

「うずしお号」の左には3番線から同時刻に発車する鳥取行スーパーいなば号が停車しているのが見えます。

 

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各乗車口にある表示は目の前の車両の行先を表示し誤乗車防止に一役買っていました。

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車両は南風号と共通の2000系ですが、うずしお号に使われている車両は高徳線の高速化事業竣工に合わせて導入されたN2000系と呼ばれる改良型です。

前面の顔立ちが南風号に使われているものとは異なるほか、最高時速も10kmアップの130kmとなっています。

 

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岡山発車時点での乗車率は20パーセント程度。昨日乗車した特急やくも号に比べると「乗っている」印象です。

 

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11:05岡山駅を定刻に発車。しばらく岡山市街地の高架線と走行します。

さて東京や名古屋から陸路で徳島を目指す場合、最も一般的なルートは新幹線で新神戸まで行き、JRバス等が神戸~徳島間で運行する高速バス「阿波エクスプレス神戸号」に乗り継ぐルートになると思いますが、

先述のように東京7:30発の新幹線「のぞみ11号」からこの「うずしお13号」に乗り継いでも、高速バス乗り継ぎと同じく1回の乗り換えで徳島まで行くことができます。

両者の運賃と所要時間を比較してみたところ下記の通りとなりました。

まず岡山回りで「うずしお号」を利用するルートでは、JRの運賃・指定席特急料金の合計は東京~徳島が19990円、名古屋~徳島が14930円となります。

一方、新神戸で新幹線と高速バスを乗り継ぐルートでは、東京~新神戸が新幹線15380円+高速バス3400円=18780円、名古屋~新神戸が新幹線8320円+高速バス3400円=11720円

所要時間については、東京を7:30、名古屋発を9:10に発車する「のぞみ11号」の新神戸到着は10:15。

新神戸駅10:55発の徳島行高速バス「阿波エクスプレス神戸号」に乗り継ぐと徳島到着は13:03となり、偶然にも岡山発の「うずしお13号」の徳島到着(13:04)とほぼ同時となることがわかりました。

新神戸10:55発の高速バス「阿波エクスプレス神戸号」には東京7:51発、名古屋9:32発の「のぞみ13号」でも間に合うとはいえ、

新幹線が圧倒的に早いことや、JRの運賃が長距離ほど割安となることもあって、明らかに遠回りとなる岡山経由でも運賃・所要時間とも大きな差はないことがわかります。

 

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快速マリンライナーの全列車が停車する宇野線の主要駅茶屋町駅をゆっくり通過したのち、瀬戸大橋開通に合わせて建設された本四備讃線区間へと進みます。

 

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本四備讃線区間の軌道側が許容する最高時速は130kmですが、乗車列車は併結相手の南風号が120km対応となっているため、「そこまでは出せないはず」などと考えていましたが、実際のダイヤには余裕があるようで110km程度で走行する区間が多かったようです。

四国から岡山へ向かう上りの特急列車が遅れている場合など、岡山での新幹線との接続には相当気を遣うようで(新幹線の発車が遅れれば影響が全国に及ぶ)、四国と新幹線をつなぐ宇野線や本四備讃線区間のダイヤは多少の遅れなら吸収できるよう余裕が見られているという話を聞いたことがあります。

 

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瀬戸大橋の手前にあたる児島駅はJR西日本とJR四国の境界駅であり、運転士・車掌の交代があるため、特急列車もすべて停車します。

 

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児島発車から数分で列車は瀬戸大橋へ。

橋の開通後、瀬戸大橋が通る島の住民とJRの間で騒音をめぐる紛争が発生したことを覚えている人も少なくなっているのではないでしょうか。

 

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瀬戸大橋を渡り終え四国最初の停車駅宇多津に到着。ここで南風号とうずしお号の切り離しが行われます。

 

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駅ホームの発車表示は別個の列車として、それぞれの発車時刻を表示しています。

 

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編成中間の「南風号」と「うずしお号」の連結部分。

切り離し作業が行われています。

 

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切り離しが終わると間もなく南風号が先に発車時刻を迎えます。

2000系は後継の2700系デビューにより引退が見えてきましたが、アンパンマンラッピングは2700系にも引き継がれることが決定しています。

 

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南風号発車の2分後に進行方向を変えて発車する「うずしお13号」の先頭車両。

 

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ホームから「うずしお13号」の進行方向(高松方向)を見ています。

真ん中2線が瀬戸大橋方面で、高松へ向かう列車は左端の線路へと進み瀬戸大橋方面への線路をアンダークロスして写真右方向へ進みます。

 

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宇多津駅発車後の車窓。

左奥に見えている高架が宇多津駅から見た瀬戸大橋方面への線路、右側に見えているのが快速マリンライナーが通る瀬戸大橋と高松方面を短絡する線路です。

写真に見えているデルタ線はすべて宇多津駅構内という扱いになっており、実際には宇多津駅には入らない快速マリンライナーも、運賃計算上は乗車している「うずしお号」と同じように宇多津駅を経由して走行していることになっています。

 

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瀬戸大橋方面に目を凝らすとこちらに向かってくる列車が見えました、岡山駅を乗車している「うずしお13号」の7分後に発車した快速マリンライナー25号のようです。

「うずしお号」は特急列車の面目を保つため?マリンライナーの前に割り込み、快速マリンライナーが全て停車する坂出駅を通過して高松駅へ急ぎます。

 

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12:04.宇多津から18分で高松駅に到着。

宇多津から進行方向を逆にして走ってきましたが、高松駅は行き止まり式の構造になっているため、ここで再び進行方向を変え高徳線を徳島へと向かいます。

ターミナル駅が行き止まり式になっていることが多いヨーロッパではこのような運転方法は珍しくありませんが国内では非常に貴重です。

 

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特急うずしお号の大半はここ高松と徳島の間で運転されており、岡山に直通するのは乗車中の13号を含む1日2往復のみとなっています。

他の便については高松と岡山を結ぶ快速マリンライナーとの接続により、直通便と大差ない所要時間で岡山~徳島を行き来できるようになっています。

 

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わずか2分の停車時間で高松からの乗客を迎え、進行方向を「元に戻し」高松駅を発車します。

 

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定刻に高松駅を発車してすぐに、岡山から後を追ってきた快速マリンライナー25号とすれ違い。

岡山を11:12に発車したマリンライナー25号の高松到着時刻は12:07となっていますが、時刻表を確認すると毎時12分に岡山を発車するマリンライナーは53分後の毎時05分に高松駅に到着するものが多く、

要するに快速列車のマリンライナーが先発の特急列車(うずしお13号)に高松で追いつくと「話がややこしくなる」ので、意図的にマリンライナーの「スジを寝かせている」というのが実態のようです。

 

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栗林駅に到着。高架駅ですが高さが通常より高く感じられるのは、元々は駅の西側で地平の国鉄高徳線をオーバークロスしていた琴電琴平線の軌道の高さをそのままに、それをオーバークロスする高架を建設したためのようです。

特急うずしお13号の高徳線内の停車駅は栗林・志度・三本松・板野の4駅のみ。高松~徳島間の所要時間58分は、この区間では最速となっています。

 

 

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栗林駅を発車すると加速しながら高架を下り、住宅や工場と田園が混じる近郊風景の中をトップスピードで駆け抜けます。

スピード感があっていかにも特急列車らしい走りを堪能できますが、踏切での大きな事故が起きないか心配でもあります。

 

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栗林の次の停車駅、志度では新型車両2700系で運転の上り高松行うずしお号と行き違い。

2700系に先行して製造された車体傾斜の2600系も「うずしお号」の運用に入っており、国鉄型185系とあわせ、現在のうずしお号には4種類の車両が混在しています。

 

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高松から乗客が増え3割程度の座席が埋まりました。緊急事態宣言解除直後にしては高い乗車率といえますが、5月16日から一部の便が運休となっていることも影響していると思われます。

 

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車窓の国道11号線を通る車も通常より少ないようです。

国道11号線は香川県内では概ね高徳線に平行していますが、香川県の東端に近い引田駅付近から山を越え徳島県の板野に至る高徳線に対し、国道11号は海沿いを鳴門市方面へ迂回しています。

 

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香川県東部一帯を東讃地方と呼ぶことがありますが、その中心に近い三本松駅に到着。

距離的には高松と徳島のほぼ中間に位置しています。

 

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三本松を出ると次の停車駅は徳島県の板野。

折り返し列車が多く「うずしお号」の多くが停車する引田駅も最速達便らしく通過。

 

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引田からは沿線風景が一変し急勾配・カーブ・トンネルの連続で、香川・徳島県境の大坂峠に挑みます。

 

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サミットに位置する大坂トンネルを抜ける列車の速度は約90km。引退が見えてきたとは言え2000系のハイパワーを実感する県境の峠越えです。

 

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トンネルを抜け下り勾配を下る途中、

 

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国道11号とともに高徳線に平行する主要道路である高松自動車道の高架が線路を跨いでいます。

県境付近では鳴門に迂回する国道11号に対し高徳線と同じようなルートで山を越えている高松自動車道ですが、高松市・徳島市いずれでも高速出口から都心部へのアクセスが必ずしも便利とは言えず、

高松と徳島を結ぶ高速バス「高徳エクスプレス号」の所要時間も、そのあたりがネックになって「うずしお号」に迫れていません。

一般道路・高速道路とも平行道路が「煮え切らない」点、高徳線の利用維持にはプラス要因になっているかもしれません。

 

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峠を下った地点にある板野駅。国鉄時代にはここから鍛冶屋原線が分岐していましたが昭和47年に廃止されています。

徳島県内の高徳線の歴史をさかのぼると、阿波電気軌道(私鉄)が1916年に鳴門線の撫養駅から現高徳線池谷駅を経て現吉成駅の先にあった古川駅の間を開業、1923年には池谷駅~板野~鍛冶屋原駅間を開業させています。

阿波電気軌道は電化を目論んだ社名でしたが、1926年に電化を断念し社名を阿波鉄道に変更したのち、1933年に路線の国有化が実施されています。

 

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鳴門線と合流する池谷駅から南下する区間。

昭和46年までこの付近には阿波市場という駅があり、運転席後ろから注意深く前方を見ているとその遺構が確認できます。

 

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徳島の2つ手前にあたる吉成駅を通過。

 

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前方をよく見ると安全側線の先に線状の空き地が見えます。

明確に確認できているわけではありませんが、おそらく安全側線の方向に先述の阿波電気軌道の徳島側のターミナル古川駅へ向かう軌道が延びていたのではないでしょうか。阿波電気軌道は吉成駅から先中原駅を経て吉野川北岸の古川駅に至り、そこから徳島市中心部「新町橋」まで船での連絡輸送を実施していました。

現在は鳴門線直通列車で約40分の鳴門~徳島間ですが、当時は撫養(鳴門)~古川間の列車の所要時間が45分、古川~新町橋までの船の所要時間も45分という姿だったようです。

 

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現在の高徳線は吉成駅の先で西にカーブし約1kmの吉野川鉄橋で四国三郎の異名を持つ大河吉野川を渡ります。

この鉄橋を含む吉成~佐古間が1935年に開業したことにより高徳線は全線開通となりました。

需要が大きい徳島近郊区間が最後の開業になっているという事実は、この約1kmの鉄橋の架橋が当時最先端の技術を要したことを意味しているのでしょう。

 

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吉野川鉄橋を渡り終え、徳島市内の高架をしばらく進むと佐古駅の手前で右手から徳島線が合流します。

1935年(昭和10年)の吉野川架橋によりようやく徳島市中心部に乗り入れた高徳線は、明治時代には開業していた徳島線に擦り付くように急カーブで合流し佐古駅に進入します。

 

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徳島線と高徳線が単線並列で並ぶ佐古駅を通過するころ、終点徳島到着の車内放送が流れます。

 

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佐古駅から先終点徳島まで単線並列で進み、

 

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徳島駅2番線に進入。

 

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13:04、岡山駅から1時間59分で定刻に徳島駅に到着しました。

この前面は岡山駅地点では南風号と顔を突き合わせていた側です。思い出すのに少し時間がかかりました。

 

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徳島県はコロナの影響が少なかったこともあってか駅コンコース周辺は一定の活気が感じられました。

写真右手のパン店は最近開店したベーカリーチェーン「VIE DE FRANCE」の店舗で四国では初出店とのこと。

パン食にあまり抵抗を感じないほうで、徳島は仕事で訪れる機会も多いので今後頻繁に利用させてもらうことになるかもしれません。

最後は鉄道から話がそれましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

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【快速サンライナー小史】デビューから31年。福山~岡山を40分台で結ぶ快速列車(福山19:54⇒岡山20:43)

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19:30。山陰線の宍道から木次線・芸備線・福塩線を乗り継いで到着した福山駅。

 

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緊急事態宣言解除直後の駅前の様子。

 

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改札前。駅構内の店舗は営業自粛がつづいていました。

 

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福山からは19:54発の快速「サンライナー」で宿泊中のホテルがある岡山に戻ります。

 

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快速サンライナーは1989年3月のダイヤ改正で岡山~福山を結ぶ快速「SUNライナー」としてデビュー。

当初は普通列車と同じ115系が使用され運転本数も日中1時間に1本というダイヤでしたが、

1992年、京阪神の新快速への221系投入が進み余剰となった117系に置き換えられ、運転本数も30分間隔に倍増。

 

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サンライナーに使用される117系は白地に赤~黄色のグラデーション塗装が施されました。

このころ時刻表記載の愛称もカタカナの「サンライナー」に変更されています。

当時は福山~岩国方面で運転されていた快速列車とも接続しており、2本の快速列車を乗り継いで岡山~広島間を2時間20分程度で行き来することも可能でした。

しかしこのような積極策にもかかわらず岡山県内や広島東部の山陽本線の利用者数は減少がつづいたことから、2009年頃より山陽本線のダイヤが急速に見直されるようになります。

まず日中毎時2本運転のサンライナーが一気に廃止され朝と夕方以降のみの運転となったほか、

その後毎時4本あった普通列車も3本に削減されたため、岡山~福山間の日中の列車本数は1時間あたり6本から3本に半減することになりました。

(岡山~倉敷については別途伯備線直通便があります。)

また福山から広島方面への快速も同じ頃に普通列車に格下げになり本数も減らされてしまいました。

ダイヤの合理化と並行してJR西日本の車両単色化施策によってサンライナー車両の塗装も見直され、順次、現在の「まっ黄色」に変更されています。

 

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ただ快速サンライナーについては日中の列車が廃止されてから10年が経過しても夕方以降の便はほとんど減便されることなく概ね30分間隔の運転を維持しており、

車両についても塗装こそ「まっ黄色」になってしまったものの、117系が大掛かりな改造を受けることもなく京阪神の新快速時代の姿のまま使われているなど、列車の魅力が失われてしまったわけではありません。

 

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快速サンライナー車内。

写真は117系の個性が最も現れる車端部の木目調の妻面。

今回はコロナの影響もあってか4両編成の車内は発車10分前でもにガラ空きでしたが、

平時でも岡山~倉敷間を除けば空いていることが多いようです。

 

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117系の製造初年は昭和54年です。当初製造された車両で「ブルーライナー」の愛称で急行型電車を使用して運転されていた京阪神の新快速運用をすべて置き換えていました。

しかし昭和61年11月の国鉄最後のダイヤ改正で新快速の彦根延長と姫路までの15分ヘッド化が実施されるにあたり車両不足が生じたことから追加増備された編成があり、

今回乗車したサンライナーはその車両を使用しています。

当初製造のものとは台車や窓の構造などが違っているのですが、経年の違いから最後に残る117系はこのタイプになりそうです。

 

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「TOKYO2020」の文字が入った缶コーヒーを口にするうち福山駅を発車。

快速サンライナーの途中停車駅は長らく笠岡、新倉敷、倉敷の3駅(一部例外あり)でしたが、近年東福山駅にも全列車が停車するようになっています。

 

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倉敷からの乗車が多く窓際の座席がほぼ埋まりました。

2人掛けの転換クロスシートは、4人掛けボックスシートが当然だった国鉄近郊型電車の中では画期的なサービスでしたが、JR化後は首都圏以外では多数導入され珍しい存在ではなくなりました。

今後は快適性とは別の観点から4人掛けボックスシートの淘汰が進むだろうと個人的に予測しています。

 

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20:43岡山駅に到着。福山からの所要時間49分は普通列車に比べて10分程度の短縮です。

毎時2本の全盛期には43分で走行するものもありましたが、福知山線脱線事故後の「ゆとりダイヤ」導入や東福山駅への新規停車により現在では45分を切る便はありません。


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岡山駅前のホテルに宿泊し、

翌朝、岡山から1日2往復の徳島直通の特急うずしお号に乗車しました。

徳島まで約2時間の乗車記はこちらです。

 

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【福塩線乗車記】純然たるローカル線と通勤通学路線の2つの顔を持つ路線(備後落合14:43⇒三次⇒府中⇒福山19:30)

本記事はこの記事のつづきです。

 

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14:33。日本海に面した山陰本線の宍道駅から木次線の列車で約3時間20分。

中国山地にある「秘境ターミナル」備後落合駅に到着。

隣のホームでは芸備線の三次方面、新見方面の列車が発車を待っています。

 

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2路線3方向の列車が集まる備後落合駅ですが、各方面とも1日4本から5本程度の運転となっています。

 

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駅舎。無人化されて久しく周囲に店舗などは一切ありません。

 

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今回は10分の接続で14:43に発車する芸備線三次方面の列車に乗り継ぎます。

宍道から乗車してきた列車と同じキハ120系での運転です。

 

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車内は一部がクロスシートになっていました。お世辞にも掛け心地が良いとはいえませんが。

 

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備後落合を発車してしばらくは25km徐行区間が頻繁に現れる山道を慎重にたどります。

 

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備後庄原駅。去年秋に運転された広島からの臨時快速列車「庄原ライナー」から降り立った時は現役だった木造駅舎はすでに覆いがかぶせられていました。

かつての芸備線の盛況を今に伝える立派な駅舎でしたが、新しい駅舎は今の輸送状況にあわせたコンパクトなものになるのではないでしょうか。

ちなみに芸備線の備後落合~三次の輸送密度は196人で、備後落合まで乗車した木次線と同じ水準にとどまっています。

 

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三次の3駅手前の塩町駅に停車。

福山からの福塩線の終点にあたりますが、福塩線からの列車は全て三次方面へ直通するダイヤになっています。

 

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16:03.備後落合から45.7kmを1時間20分で走り広島県北部の要衝三次駅に到着。

ホーム向かい側には広島行きの快速列車「みよしライナー」が停車しており、これに乗り換えると1時間20分~30分程度で広島駅に到着します。

普段はローカルな印象の朱色のキハ47も、今回は宍道から5時間も小型のキハ120で細道を辿ってきたこともあって頼もしい姿に見えました。

 

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三次駅舎も三江線廃止を前に新しい駅舎に建て替えられました。

 

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駅舎建て替えとともに駅前の再開発も行われており、駅前広場にはバスターミナルと待合所と土産物などの物販を兼ねた建物がありました。

上の写真は広島方面の高速バス乗り場にあった時刻表です。

先述の「みよしライナー」とはライバル関係ということになりますが、日中30分毎、朝夕は15分~20分毎と頻発していることがわかります。

また広島の繁華街は広島駅から離れていますが、バスはその繁華街に位置する広島バスセンターへ直行しており、

JRしか眼中にない旅行者には魅力的な「みよしライナー」も、地元バス会社からは「ライバルと認識してもらえているかも怪しい」そんな気がしてきました。

 

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三次駅のコンコース。

 

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上端黄色のEライン木次線から備後落合で薄紫のPライン芸備線に乗り継ぎ三次に到着。

ここから折り返し紫のZライン福塩線で福山へ向かいます。

路線図からは読み取ることができませんが、福塩線は芸備線の塩町から分岐して途中の府中駅(広島県府中市)までが非電化、府中から福山までの福山近郊区間が電化区間となっています。

利用状況についても府中で大きな段差が生じており、塩町~府中の非電化区間の輸送密度が206人なのに対し、府中~福山は6936人と約35倍もの開きがあります。

 

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三次発16:53.塩町から福塩線に入り府中へ向かう普通列車はやはりキハ120での運転。今回は日本海側の宍道からキハ120で同じような輸送密度の区間を繋ぐような行程になっています。

対向列車の遅れの影響で三次を約10分遅れて発車。

 

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芸備線との分岐駅「塩町」駅。福山と塩町を結ぶ路線だから福塩線なのですが、福山近郊の通勤通学で福塩線を利用している人にはほぼ無縁の小さな駅です。

 

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塩町からの福塩線の沿線は三次まで乗車してきた木次線や芸備線に比べると周囲が開けており列車も快調に走ります。

線路を跨ぐ高架は山陽の尾道から三次を経由して山陰の松江に至る中国横断自動車道です。四国今治と尾道を結ぶ「しまなみ海道」に対し「やまなみ街道」という愛称もあります。

広域的には福塩線と並行する道路ですが、福山近郊の通勤通学利用が大半で府中以北の非電化区間は域内のローカル輸送が主体という現在の福塩線に、すでに広域移動を担う機能はほとんどなく、良くも悪くも高速道路に客を奪われる心配など無用なのでしょう。

 

 

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途中の備後矢野駅。古い木造駅舎では飲食店が営業しているようです。

 

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備後矢野の次の駅、備後三川からその次の河佐lまでの間には以前は八田原という駅がありましたが、八田原ダム建設に伴う線路付け替えに伴い平成元年に廃止になりました。

付け替え区間の大半を占める八田原トンネルの延長は6123m。

技術や資金面の要請から急曲線・急勾配を多用し極力トンネルを避けて建設された路線が多い国内ローカル線にあっては異例の長大トンネルとなっています。

 

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トンネルを抜けた河佐駅でワンマン乗務の運転士が終点府中から福山方面への乗り継ぎについて乗客に聞き取り。

列車の遅れは5分に短縮しているものの府中駅での福山方面の列車への接続は5分となっているため、その発車を遅らせて接続をとる必要があるかの「調査」ということのようで、筆者のほかにも数人が福山方面への乗り継ぎを申し出ていました。

 

 

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定刻18:37のところ18:42に府中駅に到着。

隣のホームに停車中の4両編成の福山行電車(4両)に急いで乗り換え。

 

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福山行105系電車の車内。夕方のラッシュとは逆方向でコロナの影響もあり終点の福山まで混雑することはありませんでした。府中駅を若干遅れて発車。

 

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物理的に非電化区間に入ることができない電車の車内掲示路線図は府中を境に色分けがされています。

府中~福山の23.6kmの間に14もの駅がありますが、大正初期に軽便鉄道として開業した名残であり、

その後昭和2年に電化、昭和8年に国有化されたのち、昭和10年には1067mmへの改軌が行われ、戦前には現在の福塩線電化区間の基本的な姿が完成しています。

 

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途中の万能倉駅で対向列車と行き違い。転換クロスシートを備えた115系も福塩線電化区間の運用に入っています。

対向列車は勤め帰りの人を中心に概ね座席が埋まる程度の乗車率となっていました。

 

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福山の3駅手前にあたる神辺駅では平成11年開業の井原鉄道と接続。

神辺~福山間については井原鉄道の列車も一部が乗り入れており、日中でも概ね1時間2本の運転本数が確保されています。

 

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山陰の宍道から8時間あまりをかけて陰陽連絡を果たし、19:30ほぼ定刻に山陽本線接続の福山駅に到着しました。

 

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福山駅前。

広島県東部の拠点にふさわしい立派な駅前風景が広がりますが、広島県はコロナの感染者数(発症者数)が岡山県の7倍程度となったこともあってか、

緊急事態宣言が解除されても岡山より一段強い自粛ムードにつつまれている印象を受けました。

このあと岡山行きの快速サンライナーに乗車し岡山駅前のANAクラウンプラザホテルに戻りました。つづきはこちらです。

 

 

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【木次線乗車記】輸送密度200人路線の今後とコロナの影響について考える。(宍道11:12⇒備後落合14:33)

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岡山から特急やくも号で到着した島根県市松江市JR山陰本線宍道駅。

駅前は静かですが特急列車も大半が停車する主要駅です。

 

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今回はここ宍道駅から中国山地の備後落合駅に至る「木次線」に乗車、備後落合からは芸備線で三次に立ち寄ったのち福塩線で山陽側の福山へ抜け、出発地の岡山にもどる行程を予定しています。

 

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時刻表の路線図。

本日の行程をピンクで記しています。

右下が岡山で倉敷から右寄りの黒のライン(伯備線)で北上し、現在左上端の宍道駅にいます。

これから左寄りのルートを南下するわけですが、宍道から福山までの路線は、伯備線などの黒に対し青のラインで記されていることがわかります。

これは地方路線の赤字問題が顕在化した国鉄末期に全国の国鉄路線を幹線(黒ライン)と地方交通線(青ライン)に分け運賃にも差をつけたものが、

JR となり30年以上が経過した現在まで引き継がれていることを示しています。

 

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宍道11:12発の列車は2両編成。

81.9km の木次線全線を3時間21分かけて走り14:33に終点の備後落合に到着します。

木次線の車両は写真のキハ120に統一されています。

写真上、前寄りの木次線カラーの車両が終点備後落合までの運転で、JR 西日本の単一色塗装で国鉄回帰を思わせる朱色一色になった後ろ寄りの車両は途中の出雲横田で切り離されます。

 

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後ろ寄りの車両に乗車。車内は出雲横田まで筆者1人でした。

 

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同じキハ120でも製造時期によって仕様に差があり、木次線で運用されているものは窓を開けることができるようです。

 

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車窓はローカル線らしい雰囲気がつづきますが、宍道からしばらくは人家も多く、

 

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宍道から4駅目の出雲大東駅では駅周辺に市街地が形成されていました。

木次線は宍道から離れるに従って本数が減るダイヤになっており、宍道から木次までは10.5往復が確保されていますが、出雲横田から終点備後落合の間は1日4往復となっています。

 

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宍道から21km、35分で木次に到着。

2004年まで木次町を名乗っていた当時の人口は約1万人でしたが、

先述の出雲大東駅周辺の大東町などと合併して雲南市となり、その人口は約46000人を数えます。 

木次町は合併後の雲南市の中心として機能しており、駅前には大型スーパーが立地するなど車窓からみる限り一定の賑わいが感じられました。

 

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木次駅の乗車人員は約150人で出雲大東とほぼ同数となっています。 

一方JR 西日本が公表している木次線全線の輸送密度は最新のデータで200人となっています。

駅の利用者数や運転本数から区間毎の輸送密度を個人的に推測してみましたが、

宍道~木次500人、木次~出雲横田170人、出雲横田~備後落合30人で総数の計算はほぼ合います。

この推測で考えれば最も多い宍道~木次間で半数以上が朝の時間帯に集中したとしてもバスで代替できない数ではないかも知れません。

ローカル線の主たる利用者の目的地であろう高校や町の総合病院に直接乗り入れるなど鉄道では出来ないこともバスでは可能になります。

今回のコロナ騒動で大都市圏で大幅な鉄道利用者減少が見られている影響により、その水揚げで運行されているローカル線の存廃問題が再燃することは避けられないと個人的には思っています。

木次線に限らず同じような輸送状況の路線の沿線においては、感情論ではなく鉄道・バス双方のメリット・デメリットを冷静に比較し、適正な交通モードを検討する時期が来ているのかな。という気もします。

一方、同じ山陰地方でも米子と境港を結ぶ境線などは輸送密度2700人となっており、同じローカル線と言ってもこれをバスで代替するのは容易ではないはずです。

また第3セクター鉄道の中には境線と同程度の輸送密度で収支均衡に持ち込んでいるところもあるようです。

個人的なJRローカル線問題全般に対する考え方をまとめると、

①輸送密度500人~1000人を下回る路線・区間維持の再検討。

②輸送密度1000人~8000人程度(平均4000人~5000人)の路線を「新地方交通線」として、

輸送密度4000~5000人程度の優良経営の3セク鉄道や地方私鉄なみの運賃(50km程度まで)とする代わりに、

大幅な増発や新型車両導入による所要時間短縮など目に見える形でサービス向上を図り「新地方交通線」全体の収支の自立(収支均衡)を目指す。

ということになるでしょうか。

現状を見ていると①は「切り出してよいこと」②は「(JRも)やらなければならないこと」という印象を持つものです。

★★あくまで一鉄道ファンとしての私見を述べているだけです。★★

 

 

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木次からは車窓は次第に山間の風景となり保線負担軽減のための25km制限区間が随所に見られるようになります。 

木次以南では車で走った場合との所要時間差も少ないのではないでしょうか。

 

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斬新な駅舎に建て替えられた出雲三成駅。

 

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駅舎で蕎麦屋が営業していることで知られる亀嵩駅。

宍道側から訪問して折り返すというならともかく、木次線乗り通しと抱き合わせでここの蕎麦屋を訪れることは、現状のダイヤでは容易ではありません。

 

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12:48。出雲横田に到着。ここで21分の停車時間があります。

 

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途中下車し駅前に出てみました。

神社を模した立派な駅舎は新築でしょうか。

 

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神社風の駅舎の前には、駅舎と同じ和風の色調でまとめられた、整然とした駅前広場が広がっていました。

 

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21分という停車時間は飲食店に入るにはやや短いのですが、

最悪の場合お金だけ払って出てくることになることを承知で、駅前広場から見て右手方向にある蕎麦屋「あさひ亭」に立ち寄りました。

 

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一番早くできそうなメニューを尋ねると「どれでもそんなに待たせませんよ」というような雰囲気だったので「三品そば」を注文。

お茶と一緒に一畑電車模様の小皿に入った茶菓子が並べられました。

 

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5分程で出していただいた三品そば。

蕎麦がおいしいことで知られる地域だけあり味は申し分なく、食べる時間も十分確保できたのですが、

店の人を急かしてまで停車時間で立ち寄ることをお勧めしてよいかは自信がありません。

 

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駅にもどり1両になった列車で1日4往復の末端区間へと踏み出します。

 

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乗客は出雲横田発車時点で筆者ともう一人だけ。

 

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出雲横田発車後、運転席の後ろに立ち前方の線路を撮影。 

「まるで路面電車の芝生軌道を思わせる緑化具合」などと感心していたのも束の間、 

ちょうど島根・広島県境の峠越えにかかるあたりで雨が降り出し、派手な空転で上り勾配途上でほぼ停止状態となるトラブルに見舞われました。

鉄道の空転発生の「メカニズム」までは理解していませんが、

都市部の鉄道でもレールが完全に濡れているときより、雨の降り出しのように濡れている部分と濡れていない部分が混在するときに発生のすることが多いようです。

 

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駅手前500メートルほどの登り坂を空転と戦いながら10分以上かけて登りようやく到着した出雲坂根駅。 

駅前に延命水と呼ばれる「湧き水スポット」があり、その観光時間を考慮してのことか停車時間が長めにとられていたようで、出雲坂根駅は定時に発車することができました。

 

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出雲坂根駅舎。

 

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駅前風景。標高565メートルの看板と延命水の「湧き水スポット」

一時は木次線利用の呼び水にもなっていたようですが、今は車利用で訪れる人のほうが多いようです。

 

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駅舎横には源泉が。

 

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延命水ともうひとつ出雲坂根駅を有名にしているが三段式スイッチバックです。

 

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宍道方から到着した列車は、出雲坂根駅で一旦進行方向を変えて今登ってきた線路を見下ろしながら数百メートル走り、

 

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ドームに覆われたポイントで次の三井野原駅方面につながる線路と合流。(写真は後方展望)

 

 

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進行方向を元に戻し、バックする形で通った線路を見下ろしながら三井野原駅方面へ進みます。

このような走り方で効率よく高度を稼ぐことにより、出雲坂根駅と次の三井野原駅の高低差163メートルを克服しています。

 

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木次線に並行する国道314号線も「おろちループ」と呼ばれるループ橋や室原川が造る谷を跨ぐ大きな橋梁などで島根・広島県境を越えています。

 

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出雲坂根から19分かかって到着した三井野原駅の標高は727mで、JR西日本で最も標高の高い駅となっています。

周囲にはスキー場も立地しており、昭和の時代には広島からスキー客向けの臨時列車が運転されたこともありました。

 

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三井野原駅付近で広島県に入ると下り勾配になり、

14:33。木次線の終点備後落合駅に到着。接続する芸備線の三次方面と新見方面の列車が停車中で相互に乗り換えることができます。

 

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備後落合駅の時刻表。乗り換えを終えて10分ほどの間に3本の列車が来た道を折り返してしまうと17時台まで列車の発着はありません。

 

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駅周囲に店舗なども一切ない備後落合駅は、2路線3方向からの列車が乗り入れるターミナルでありながら「秘境駅」と呼ぶにふさわしい雰囲気が漂っています。

つづきは近日中に投稿します。

 

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ANAクラウンプラザ岡山宿泊と特急やくも3号(岡山→宍道)乗車記

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緊急事態宣言解除直後に快速マリンライナー60号に乗車し「瀬戸大橋を渡る」という分かりやすい越境移動をして岡山駅に到着。

 

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20:40頃の岡山駅コンコース。

人通りは少ないものの、パン屋やコンビニは夜の時間帯も営業していました。

 

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緊急事態宣言解除の予定が報道されてから予約した、

駅西口隣接のANAクラウンプラザホテル岡山へ向かいます。

 

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ANAの上級会員「SFC」会員向けのプランでシングルを予約していましたが、

15階のツインルームにアップグレードされ、

 

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客室の窓のカーテンを開けると岡山市街地の夜景と、

その中央を16両の新幹線車両がつくる光の帯が速度を増しながら広島方面へ向かう様子が飛び込んできました。

 

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翌朝。

本日は20階の会場での朝食のあと、岡山発8:05の特急やくも3号で島根県の宍道へ向かう予定のため7時前に起床。

岡山空港発着のフライトがゼロになったのとは対照的に、

朝ラッシュを迎えた岡山駅に各路線の列車が頻繁に出入りする様子を眺めることができました。

 

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出発準備を整え荷物持参で食堂へ。

コロナ対応でバイキングは中止となっており、和食または洋食プレートでの提供となる旨、昨夜のチェックイン時に説明がありました。

 

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席に案内されるとドリンクメニューを渡され「複数注文でも結構です」と。

食事と並行で烏龍茶、食後にコーヒーをお願いしました。

 

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洋食を選択。卵料理はオムレツのほかスクランブルエッグなども選択できるようです。

先月松山のANAクラウンプラザホテルに宿泊したときは朝食のボリュームに驚きましたが、

同じ系列のホテルでもこちらの朝食は個人的には「適量」という印象でした。

ただ人によっては少ないと感じるかも知れず、やはりバイキングの魅力には勝てないのかも知れません。

 

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部屋とは違う方向の市街地を眺めながら優雅な朝食タイムを満喫。

 

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8時前に岡山駅へ。

利用者の数はコロナ以前の日中よりずっと少ないようですが、

そのような状況でもほとんど減便も行わず列車を運行しているJRの姿勢を高く評価する声がもっとあってもよいのではないかという思いと、

この経営的損失の穴埋めがどこへ向かうのかという不安が交錯します。

 

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やくも号も乗車日現在では通常運行。

 

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4両編成ですが、発車直前でも1両3人程度という乗り具合。

 

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シートのリクライニング角度は普通車としてはかなり深い部類に入ると思います。

 

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岡山駅を発車し隣の北長瀬駅付近まで続く貨物駅の脇を加速しながら通過。

 

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倉敷駅手前で山陽下り線から左にそれて高架に上がり、山陽上下線を跨いで倉敷駅の伯備線ホームに進入します。

この設備により山陽線上り列車と伯備線下り列車が平面交差することが避けられ運転上の支障が無くなるとともに、

両者の衝突事故を絶対的に回避することができています。

建設されたのは昭和50年代の伯備線電化時だと思いますが、

国鉄の財政が悪化していた時期に多額の費用をかけて造られたこの高架線を通るたび、

国鉄の安全に対する「気骨」のようなものを感じます。

 

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倉敷駅を発車し急カーブで西から北に進路をかえると、

中国山地を越え日本海側に至る伯備線の旅が始まります。

 

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伯備線の下り列車は高梁川を遡る形で北上を続けます。

 

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岡山から30分少々で備中高梁に到着。

内陸の小都市ながら大学が立地する文教都市としての側面を持っており、通学利用も多くみられる駅ですが、

現在はすべて休校となっているのでしようか、まだ8時台ですがホームは閑散としていました。

 

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伯備線の倉敷~備中高梁間は全線複線で、これまでは毎時特急やくも号1本、普通列車2本の運転でしたが、

2020年春のダイヤ改正で日中の普通列車の半数が総社折り返しとなり総社以北では普通列車の本数が半減してしまいました。

 

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備中高梁以北の伯備線は山陰線に合流する伯耆大山駅まで一部をのぞき単線となっています。

次の停車駅「新見」までの途中駅「方谷」で上りのやくも号との行き違いのため運転停車。

「方谷」は人名由来の駅名で、岡山県は山陽本線の熊山のほか、智頭急行線の宮本武蔵駅、井原鉄道の吉備真備駅など人名駅が多いという特徴があります。

 

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線路に並行する高梁川は遡るほどに川幅が狭くなり車窓は次第に山深くなります。

 

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岡山から約1時間。岡山県北部の交通の要衝新見に停車。

 

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新見から先谷田峠を越えて鳥取県に入ると、沿線の水田で田植えの風景が多くみられました。

目に見えないウイルスに「大騒ぎ」の毎日ですが、普段の5月と何一つ変わらないのどかな車窓風景は乗客に安心感を与えるものです。

 

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大山が見えると伯備線区間は間もなく終了。

1両数人の乗車率でも「右手後方に見えておりますのは・・」と車窓案内の放送が流れました。

 

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伯耆大山から山陰線に入り米子に到着。

 

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現駅舎の西側には、新駅舎の骨組みが立ち上がっていました。

現駅舎に比べれば小規模なものになるようです。

 

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米子から約20分、島根県に入り県庁所在地の松江に到着。

 

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松江からしばらく宍道湖の湖畔を走り、

 

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10:51到着の宍道駅で下車。

乗り心地の評判が芳しくない381系を使用する「やくも号」ですが、

その揺れには車両毎の個体差があるのではないかと感じることがあります。

今回は岡山から3時間近い乗車で普通車利用だったにも関わらず、

年末に岡山から米子まで乗車した展望タイプのグリーン車に比べて揺れが気になりませんでした。

いずれも車両中央付近の座席だったのですが、その日の体調なども影響するのでしょうか。

 

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宍道駅舎。

 

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今回は宍道駅から、3月に山陰線のダイヤの乱れによる乗り継ぎ失敗で断念した、木次線→芸備線→福塩線乗り継ぎでの陰陽連絡にリベンジしました。

つづきはこちらです。

 

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【緊急事態宣言解除直後】快速マリンライナー車内でコロナ対策について考える。

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香川県高松市JR 四国高松駅前。

4月初旬に右手に見えているJR クレメントイン高松の宿泊記を投稿してから、新型コロナウイルス感染防止のための自粛要請にしたがう形で、新しい旅行記事の投稿を見合わせていましたが、

8都道府県を除く39県の緊急事態宣言が本日解除されました。

 

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このような宣言解除の見通しが報道された11日から、解除県のみを通る旅行の計画と予定の調整をしてきましたが、本日早速ここ高松駅から快速マリンライナーで越境し岡山へ向かうことが可能になりました。

 

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駅近隣のさぬきうどん店は閉店していたため、駅ビル2階の杵屋で夕食。

 

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19時20分頃の高松駅コンコースの様子。

 

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19時40分発の快速マリンライナー60号に乗車。

 

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2階のグリーン席を奮発しました。(JWEST カードホルダーは400円台で利用てきます。)

 

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グリーン席に続く階段にあるショーケースの中身がマリンライナーが走行する路線の沿線に因んだ内容にリニューアルされたとJR 四国のHPに紹介されていました。

列車は定刻に高松駅を発車。岡山までの約55分を使って昨今のコロナウイルス対策についての個人的な考えをまとめてみました。

 

★★★コロナウイルスに関して個人的な意見を述べさせていただくなら、旅行を含む移動や経済活動の自粛には否定的な考えをもっています。

マスク、手指消毒、時差通勤による密の回避、窓口やレジへのビニール幕の設置などの対策をこれまで以上に厳重に行ったうえで、

経済活動の自粛は医療体制の逼迫を避けるために必要な範囲を超えない最低限度にすべきだと考えています。

したがって多くの予想より早いタイミングで今回の自粛緩和が発表されたことを嬉しく思い、また当然のことだとも感じています。

以下にそう考える理由を列記してみました。

まず平穏な日常生活を脅かす他のリスクとの比較が必要だと思います。

例えば自宅から近所のスーパーへ買い物にいこうとすれば、その道には交通事故という形で国内だけで毎年4000人の命を奪う「殺人鬼」が走り回っているはずですが、

それを道路上から撲滅しようとか、撲滅されるまでステイホームしようなどと考える人はいないはずです。

また山一証券破綻などがあった90年代末からリーマンショックや東日本大震災を経て2012年まで日本の年間自殺者数は3万人を越えており、その主要な動機に経済苦があったことを鑑みれば、

経済活動自粛の悪影響により、コロナウイルス感染による死者を上回る自殺が発生する可能性は十分に考えられます。

「コロナの犠牲者を最小限にするにはどうすればよいか」を考える際はウイルスによる直接の犠牲者だけを考えるのではない広い視野を持つ必要があると思っています。

交通の分野に目を向ければ、自粛の長期化により交通事業者の経営が危うくなったときに「再建のためにどこが見直されるのか」を冷静に考える必要があると思います。

感染者が少ない地域では感染が多く発生している地域からの越境を抑えたくなる心情は理解できますが、

例えばJR 西日本ならば兵庫や大阪での自粛による利用減少が長期化すれば、見直しの対象になるのはコロナの影響が少なかった鳥取のローカル線ということになるかも知れません。

JAL やANA にしても搭乗率が高い羽田から札幌、大阪、福岡へ向かう路線にメスを入れるより、岩手や徳島へ向かう路線の減便をやるほうが、経営立て直し策としては合理的という判断になるかも知れません。

今乗車しているマリンライナーが向かっている岡山では緊急事態宣言発令中に越境移動を阻止しようとする知事の発言が話題になりましたが、

その後JAL ANA 双方の減便で岡山空港の就航便がゼロになってしまったという報道があり、新幹線の利便性が高い地域ということを考えても皮肉な出来事という印象をもったものです。

また再度のコロナウイルスの流行を考えれば今回の自粛緩和は時期が早いという見方もあるようですが、個人的には「また降り出せば傘をさせばよい(緊急事態宣言を出せばよい)」と考えています。

空に雨雲があるからといって雨が止んでいる間まで傘を差し続ける必要はないと思います。★★★

 

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コロナウイルスについての考えを書いているうちに 列車は瀬戸大橋を渡り岡山県に入り、

 

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20時35分岡山駅に到着。

 

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20時40分頃の岡山駅改札口周辺の様子。

今夜は岡山駅周辺のホテルに宿泊。明日は特急やくも号で島根県方面へ向かいます。

つづきはこちらです。

 

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【台北101と小籠包】台北観光ののちキャセイパシフィック航空564便で帰国。

 

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 コロナによる外出自粛のため新しい旅行記事を投稿できないので、過去の日記(編集)と撮影した写真で記事を作成しています。

本記事は3泊4日の台湾鉄道旅行の最終日で、台北市内観光ののち帰国します。

(上に添付している記事のつづきです)

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2014年12月23日

8時頃、3泊した台北・西門町のホテル一楽園大飯店をチェックアウト。

日本は祭日だが台湾は平日で、ホテルもよりの地下鉄板南線西門駅からラッシュで満員の地下鉄に乗車。

 

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板南線の終点南港展覧館駅で無人の新交通システムで運転される文湖線に乗り換え。

松山空港に乗り入れ地下鉄のネットワークに組み入れられている文湖線だが、高架を走る区間も多い。

沿線の街並みは近代的で昨日立ち寄った高雄のような東南アジア感はあまりない。

大安駅で淡水信義線に乗り換え、台北101最寄の「台北101・世貿」駅で下車。

 

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地上に出ると前方に高くそびえる「台北101」が見えた。

展望台への入場料は500元と安くはないが上ってみることに。

 エレベーターに乗る前に荷物を預け写真を撮られる。

9.11のテロのあとに訪れたニューヨークのエンパイアステイトビルなみのセキュリティ態勢が敷かれていた。

 

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展望台の高さは東京スカイツリーに迫るが、現地の地理に疎いため台北駅がどちらの方向にあるのかさえよくわからない。

展望台を一回りしてみたが、わかったのは淡水河と松山空港くらい。

 

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(展望台からの眺め)

 

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展望台の下のフロアに展示されている台北101を支えているダンパーを見学。

 

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エレベーターで地上に降りると、地下鉄の入口につづく通路の脇に小籠包で有名な「ディエンタイファン」の店舗を発見。

台湾到着の夜、台北都心「忠孝復興」駅近くのデパ地下の店舗へ行ったところ「100分待ち」の表示があり入店を断念していたのが、

今回はまだ11時前ということもあって店内は空いており迷わず入店。

 

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(店内のオープンキッチン)

 

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 ホテルでの朝食からあまり時間がたっておらず、注文したのは小籠包5個のみだったが、蟹みそが入っており名店に恥じない美味だった。

 

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(外国語版の食べ方指南は「日本語とフランス語」が併記)

 

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支払いはサービス料込で192.5元。700円程度。

日本の市中にある中華料理店とかわらなかった。

 

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台北101の地下から地下鉄に乗車し台大医院駅下車。付近の二二八和平公園を散歩。

(日本の台湾統治が終了した第2次世界大戦直後、中国と台湾住民の間で起こった武力衝突は発生した日を指して二二八事件と呼ばれています)

 

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(公園内)

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(公園内)

 

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日本統治時代の「台湾総督府」の建物を撮影。

 

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こちらは地k鉄「中正紀念堂」駅すぐ。中正紀念堂前の広場。

 

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広場の奥にそびえる中正紀念堂。

 

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堂内には中正こと蒋介石の銅像とその政治思想を記した碑が展示されているが、

ここで正午に行われる衛兵交代式にあわせて訪れたにもかかわらず建物前に工事の柵が設けれ、蒋介石像は上半分のみ、交代式を行う衛兵の姿も見えず銃で床を叩く音だけが響いていた。

 

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仕方なく正午過ぎの地下鉄で台北駅にもどり土産のパイナップルケーキを買って台北駅の西に隣接するバスターミナルへ。

ここから桃園空港までは125元。悠々カードの残額は128元だったのでカードで支払い残りは3元となり、到着時にチャージした400元を綺麗に使い切ることができた。

 

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バスはあまり待つことなく乗車できたがかなりの年代物でシートベルトは「常にしまった状態」の昭和式で走行音も「少しおかしい」。

高速にあがれば平坦な区間では快調に走るが上り坂では50kmくらいまで落ちてしまい追突されないか心配になった。

 

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台北駅から約50分かかって桃園空港の第一ターミナルに到着。成田なみに遠い空港という印象。

 

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帰国便はキャセイパシフィック航空564便。

香港から台北経由で関西空港へ向かうフライトに途中から搭乗する格好。

出発の15:55の1時間ほど前には搭乗口に到着した。

 

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チェックインカウンターなどに比べると搭乗口はやや古びた印象。

15:40頃から搭乗開始。

 

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帰国便のシートはピッチが狭く、リクライニングも「背もたれは倒れずお尻が前に出るだけ」の仕様。

鉄道でいう「簡リク(簡易リクライニングシート)」にようなものでお世辞にも快適とはいえなかった。

 

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離陸後台北都心の上空ではさきほど訪れた「台北101」がはっきりと確認できた。

 

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機内食のポークカレーを食べ終わるころにはもう九州付近に達しており、追い風となる帰国便は対地速度が時速1000kmを越え、実際の所要時間以上に早く感じられた。
関西空港到着は大阪湾を回り込んで北側から着陸。

入国・税関などを終え制限エリア外にでたのは20:00頃だった。

 

3泊4日の台湾鉄道旅行の記事はこれで終了です。最後までお読みいただきありがとうございました。

★★★なお最新の報道によれば、現在全国に発出されている新型コロナウイルス感染症に伴う緊急事態宣言が、事態が落ち着いている34県で一斉解除され、34県相互間の移動制限も緩和される見込みとなっているようです。

緊急事態宣言が発出された4月初旬以降、公開を前提とせずに書いていた過去の日記の編集と撮影していた写真で「繋いで」きましたが、

報道されている通りになれば、今後は従来通り最新の旅行記事を投稿できる見込みです。★★★

 

 

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