昨日岐阜から名鉄特急、JR飯田線特急伊那路号、飯田から普通列車を乗り継いで到着した長野駅前のコンフォートホテル長野をチェックアウト。
今日はしなの鉄道とJR信越本線・高崎線で熊谷まで行き、そこから秩父鉄道の急行「秩父路」号と西武鉄道の新型特急「ラビュー」を乗り継いで夜の東京に到着。
東京駅から22時発のサンライズエクスプレスに乗車という行程を予定しています。
JR長野駅前の地下に位置する長野電鉄長野駅のコンコース。
長野から小諸方面へのしなの鉄道の乗車予定列車の発車は10時44分。まだ時間があるので長野電鉄に「ちょい乗り」します。
現在の長野電鉄は長野駅と湯田中駅を結ぶ系統のみの運転となっておりダイヤはランダムで長野駅発で概ね1時間に3回程度となっています。
全駅掲載の運賃表。かつては須坂からしなの鉄道接続の屋代へ至る屋代線、信州中野から木島に至る河東線がありましたが、河東線が2002年に、屋代線は2012年に廃止されました。
運賃は湯田中付近まで乗車すると一昨日に乗車した富山地方鉄道と同レベルのようですが、長野から9駅目の柳原駅(8.0km)までが330円となっているなど地元利用が多い短距離区間では比較的低く抑えられている印象を受けました。
一昨日乗車した富山地方鉄道の富山~寺田間は9.8kmで530円でしたが、支線の廃止でメインラインのみの姿になった長野電鉄に比べ、富山地方鉄道は立山線や不二越・上滝線を含め100kmの路線を現在まで維持しつづけています。
見方によっては富山地方鉄道は長距離に渡る不採算区間を存続させるために需要の多い富山近郊で高めの運賃を設定せざるを得なくなっているようにも見えます。
そのような施策の結果として最も鉄道が必要とされている区間で高運賃のために鉄道が利用しづらくなっているとすれば、沿線住民にとっても鉄道会社にとっても何も良いことはないようにも感じられます。
では安ければよいのか。という話ですが。その点について全国一律の国鉄運賃を基本的に継承しているJR運賃に目をやれば、長野電鉄長野~柳原や富山地方鉄道富山~寺田に相当する7~10kmの距離帯で、本州3社が200円、JR四国が220円、JR九州が230円、直近に値上げを行ったJR北海道が290円となっており、
JRの場合は富山や長野といった地方都市の近郊区間でも輸送密度が数十万という大手私鉄なみの低運賃となっているのが現状です。(JRの中で特に経営環境が厳しい北海道においてこの矛盾が真っ先に露呈し比較的大幅な値上げをせざるを得なくなったというのが筆者の個人的な見方です。)
現在のJRの運賃水準では一定の需要がある県庁所在都市周辺でも利益を出すことが難しく、結果として積極的な施策・投資が望めない状況になっているとすれば、特に都市圏の鉄道輸送をJRに依存している都市にとっては死活問題であるようにも感じられます。
さて湯田中までの列車は普通と特急があり、特急は日中を中心に運転される停車駅が少ないA特急とラッシュ時に運転される停車駅が多いB特急があります。
8時51分発のA特急で途中の須坂駅まで行くことにしました。
須坂までは12.5km。普通運賃550円に特急料金100円の追加で計650円です。
車両は横浜・新宿・東京と成田空港を結んでいたJR成田エクスプレスの新型車両への置き換えにより長野電鉄に転属してきたものです。長野電鉄では3両編成での運転ですが塗り分けはほぼJR時代のままです。
長野電鉄での車両の愛称は「スノーモンキー」。前面の塗り分けが温泉につかる猿の顔に似ているということから命名されたとのこと。
車内もデッキの荷物置き場など空港特急として活躍していた時代の設備がそもまま残されています。
JR時代には不評だった半分の座席が進行方向と反対向きとなる集団見合い式の座席もそのままです。
長野電鉄では空いていることが多いので「進行方向に向いている座席に座れば問題なし」という場合が多いのかもしれません。
今回乗車した編成では3両編成のうち湯田中寄りの1両のみ全席が進行方向に向くシートになっていました。JR時代に改善が図られていた車両も交じっているようです。
スノーモンキー号の車内設備の目玉は1室だけある4人用個室「スーパー猿ーん」で、利用人数にかかわらず1室1000円で利用することができます。
湯田中までなら1人で1000円払って貸切るというのも面白いと思いましたが、今回は須坂までなのでさすがに断念しました。
普通電車用には元営団地下鉄(東京メトロ)日比谷線の車両も活躍しています。
長野駅発車後、次の市役所前を通過して2駅目の権堂駅に停車します。権堂の次の停車駅はA特急の場合は目的地の須坂となります。
長野駅から善光寺下駅の先まで3駅間は昭和56年に地下化されました。平成に入って北陸鉄道浅野川線の北鉄金沢駅付近が地下化されるまでは地方私鉄では唯一の地下区間となっていました。
地上に上がってもしばらくは市街地の走行がつづきます。橋上駅舎の近くにマンションが並ぶ信濃吉田駅を通過。徒歩圏にはしなの鉄道北長野駅があります。長野電鉄の運賃が短距離で比較的低くなっているのには並行する路線の存在も影響しているのかもしれません。
北陸新幹線の高架をくぐるあたりから車窓には田畑が目立つようになります。
沿線には重たそうな赤い実をつけたリンゴの木が並ぶリンゴ畑が多数ありました。
中には公道から手を伸ばせば届く場所に多数の実を結んでいるものもありましたが、特に防犯対策などはされていないように見え、沿線住民のモラルの高さを感じずにはいられませんでした。
長い鉄橋で千曲川を渡ると、
リンゴ畑の向こうに須坂の市街地が見えてきました。
イオンのものとわかる赤い看板が見えるあたりに須坂駅があります。
最近まで屋代線が分岐していた須坂駅は3面6線の広い構内を持つ駅です。
到着したスノーモンキー号の向こうに見えているのは小田急から転属してきた「ゆけむり」号です。その隣には元営団日比谷線の普通電車も見えます。
いずれも首都圏からの転属車両ですが東京では同じホームで並ぶことなどなかった車両同士が長野で仲良く並んでいるのは面白い光景だと思います。
橋上駅舎の須坂駅舎。駅前に発着するのは以前の長電特急カラーに塗られた長電バスです。
地下駅に橋上駅舎と大掛かりな構造物を擁する駅が多くみられることについては、全国の地方私鉄の経営が主としてモータリゼーションにより悪化した高度成長期以降も比較的安定した経営がなされていた証のようにも見えました。
長野県須坂市の人口は約5万人。事前の知識でもここまでの沿線風景を見ても長野県はリンゴの産地で、ブドウはお隣山梨県が産地というイメージですが、須坂市は巨峰の産地としても知られているようです。
駅前から伸びる通りに沿って整然とした街並みがつづいていました。
さて駅にもどりさきほど奥のホームに見えていた元小田急ロマンスカー「ゆけむり」号に乗車して長野市内にトンボ帰りします。
須坂駅始発9時16分。長野駅まで12.5kmのみ運転のA特急です。
特急料金(100円)が必要な特急列車としては日本一運転距離が短い列車という話を聞いたことがあります。
この車両も塗装・車内ともほぼ小田急時代のままです。
バブル期にハイデッカー構造による眺めのよさを売りにして登場した車両ですが、バリアフリー対応が難しいという理由で、先代のロマンスカー車両より先に小田急線から姿を消すことになった経歴があります。
先頭の展望席部分。名鉄のパノラマカーの新型車両が運転席を客席下に移したのに対し小田急は現役の最新車両まで客席の上に運転席を設けるスタイルを継承しています。
先頭の展望席内部。終点の長野駅が行き止まりスタイルで一番前が便利ということもあるのでしょう、乗りなれた地元客を中心にある程度席が埋まっていました。
手間がかからない形を考えたうえで、この部分だけ特急料金を300円とか500円にして地元客を展望区画以外へ誘導し、上乗せの追加料金を払ってでも展望席に乗りたい観光客に開放するほうがよいのではないかと感じました。
展望以外の居住性についてはシートピッチもそれほど広くなく、スノーモンキー号のほうが快適といえそうです。
単線区間で行き違い待ちをしていたのは元東急電鉄の車両でした。
千曲川を跨ぐ村山鉄橋は道路・鉄道併用橋として知られます。
老朽化による旧橋の架け替えに際して道路部分は2車線から4車線になりましたが、併用構造は踏襲されました。
途中朝陽駅からは複線になります。
速度はあまり出ませんが複線区間での行き違いシーンなどは鉄道ファンでなくても楽しめる要素であり、乗りなれているはずの地元の利用者が展望席部分の座席を好む理由もわからないでもありません。
行違う電車の向こうに地下への入口が見えてきました。
地下区間に入って一駅目の善光寺下駅を通過。善光寺からは徒歩5分程度の距離があります。
帰りは権堂駅で下車することにしました。
バブル期の車両にしてはやや古めかしい印象の折戸ですが、ハイデッカー構造だけでなくこの狭い扉もバリアフリー化の妨げと見做されたのかも知れません。
展望部分は賑わっていますが、発車を見送っていると後部のハイデッカー部分はほとんど無人でした。
長野駅まで徒歩でも行ける距離ですが、長野⇒須坂より70円も安く特急料金込みで580円でした。
昭和56年の開業時から時がとまったような地下空間。
以前にくらべると照明が明るくなったように感じるのは筆者だけでしょうか。
やはり昭和の香り漂う改札口周辺。
改札から少し歩くとイトーヨーカドーの地下食品売り場に直結しており便利です。
数泊単位の旅行になるとコンビニよりスーパーのほうが便利な場合が多く後続の普通電車に乗り継ぐまでの時間で買物を済ませました。
東急車両でやってきた後続の普通電車で長野駅へ戻ります。
立客も多い状態で地下区間を走る車内にいると東急の電車に乗っているような錯覚をおこしそうになりました。
普通電車はワンマン運転ですが他の多くの地方私鉄と違い運賃収受はすべて駅で行うスタイルとなっているようです。
約1時間で長野駅に戻ってきました。
駅前のビル街は建て替えによって新しくなっているようですが、駅前交差点の歩行者用信号から聞こえる「故郷の空」のメロディは、長野駅が木造駅舎だった時代から変わっていないのではないでしょうか。
つづきはこちらです。