19:30。山陰線の宍道から木次線・芸備線・福塩線を乗り継いで到着した福山駅。
緊急事態宣言解除直後の駅前の様子。
改札前。駅構内の店舗は営業自粛がつづいていました。
福山からは19:54発の快速「サンライナー」で宿泊中のホテルがある岡山に戻ります。
快速サンライナーは1989年3月のダイヤ改正で岡山~福山を結ぶ快速「SUNライナー」としてデビュー。
当初は普通列車と同じ115系が使用され運転本数も日中1時間に1本というダイヤでしたが、
1992年、京阪神の新快速への221系投入が進み余剰となった117系に置き換えられ、運転本数も30分間隔に倍増。
サンライナーに使用される117系は白地に赤~黄色のグラデーション塗装が施されました。
このころ時刻表記載の愛称もカタカナの「サンライナー」に変更されています。
当時は福山~岩国方面で運転されていた快速列車とも接続しており、2本の快速列車を乗り継いで岡山~広島間を2時間20分程度で行き来することも可能でした。
しかしこのような積極策にもかかわらず岡山県内や広島東部の山陽本線の利用者数は減少がつづいたことから、2009年頃より山陽本線のダイヤが急速に見直されるようになります。
まず日中毎時2本運転のサンライナーが一気に廃止され朝と夕方以降のみの運転となったほか、
その後毎時4本あった普通列車も3本に削減されたため、岡山~福山間の日中の列車本数は1時間あたり6本から3本に半減することになりました。
(岡山~倉敷については別途伯備線直通便があります。)
また福山から広島方面への快速も同じ頃に普通列車に格下げになり本数も減らされてしまいました。
ダイヤの合理化と並行してJR西日本の車両単色化施策によってサンライナー車両の塗装も見直され、順次、現在の「まっ黄色」に変更されています。
ただ快速サンライナーについては日中の列車が廃止されてから10年が経過しても夕方以降の便はほとんど減便されることなく概ね30分間隔の運転を維持しており、
車両についても塗装こそ「まっ黄色」になってしまったものの、117系が大掛かりな改造を受けることもなく京阪神の新快速時代の姿のまま使われているなど、列車の魅力が失われてしまったわけではありません。
快速サンライナー車内。
写真は117系の個性が最も現れる車端部の木目調の妻面。
今回はコロナの影響もあってか4両編成の車内は発車10分前でもにガラ空きでしたが、
平時でも岡山~倉敷間を除けば空いていることが多いようです。
117系の製造初年は昭和54年です。当初製造された車両で「ブルーライナー」の愛称で急行型電車を使用して運転されていた京阪神の新快速運用をすべて置き換えていました。
しかし昭和61年11月の国鉄最後のダイヤ改正で新快速の彦根延長と姫路までの15分ヘッド化が実施されるにあたり車両不足が生じたことから追加増備された編成があり、
今回乗車したサンライナーはその車両を使用しています。
当初製造のものとは台車や窓の構造などが違っているのですが、経年の違いから最後に残る117系はこのタイプになりそうです。
「TOKYO2020」の文字が入った缶コーヒーを口にするうち福山駅を発車。
快速サンライナーの途中停車駅は長らく笠岡、新倉敷、倉敷の3駅(一部例外あり)でしたが、近年東福山駅にも全列車が停車するようになっています。
倉敷からの乗車が多く窓際の座席がほぼ埋まりました。
2人掛けの転換クロスシートは、4人掛けボックスシートが当然だった国鉄近郊型電車の中では画期的なサービスでしたが、JR化後は首都圏以外では多数導入され珍しい存在ではなくなりました。
今後は快適性とは別の観点から4人掛けボックスシートの淘汰が進むだろうと個人的に予測しています。
20:43岡山駅に到着。福山からの所要時間49分は普通列車に比べて10分程度の短縮です。
毎時2本の全盛期には43分で走行するものもありましたが、福知山線脱線事故後の「ゆとりダイヤ」導入や東福山駅への新規停車により現在では45分を切る便はありません。
岡山駅前のホテルに宿泊し、
翌朝、岡山から1日2往復の徳島直通の特急うずしお号に乗車しました。
徳島まで約2時間の乗車記はこちらです。