(この旅行記は日記を編集して作成しているため他の旅行記と言い回しが異なります。)
2014年7月19日。
JR大阪駅に隣接する高速バスターミナル。
乗車するJRバスの夜行高速バス「北陸ドリーム大阪1号」の発車時刻は22時20分。
早目に到着してバスの発車本数に比してやや手狭な待合室兼乗車券発売所で発車までの時間を過ごす。
1日の発車本数で見れば兵庫県内陸部や岡山県の津山へ向かう中国高速線や徳島線が多いが、21時30分を過ぎると関東方面への夜行便「ドリーム号」が次々に発車していく。
(写真 22時10分。入線する北陸ドリーム大阪号)
22時を過ぎてホームへ。指定の座席は3列シートでありながら独立シートとは言い難い1階席だが、金沢までの短距離でありそれで充分なはずだ。
トランクに荷物を預けて乗車。22:20定刻に大阪駅高速バスターミナルを発車。
走り出すとエンジン音は気になるが、シートは寝るだけなら問題なし。京都駅で客数を点呼した運転士は「38人満席」と言っていた。
午前1時前という遅い時刻に名神高速道路の多賀SA(滋賀県)で休憩したのち、金沢到着直前まで眠ることができた。
2014年7月20日
2015年北陸新幹線金沢開業という大幕がつるされた金沢駅前に午前5時40分に到着。
金沢発6時08分の越後湯沢行の特急はくたか1号に乗り継ぐ。
(北陸~首都圏路線概念図)
1997年の北越急行線開業から20年近く続いた、越後湯沢での新幹線リレーによる金沢・富山~首都圏間の輸送も、大幕が語るように最後の夏を迎えている。
今回わざわざ早朝の金沢からの乗車を計画したのは、「はくたか1号」が越後湯沢で接続する上越新幹線「MAXとき310号」とあわせて、
金沢~東京間3時間47分という最速乗り継ぎを構成しているからで、最後に是非乗っておきたかったのだ。
5時45分頃にはくたか1号が入線するホームに上がった時点では、各ドア2人程度しか並んでいなかったが、50分を過ぎると列が延びはじめ、列車が入線して乗車してみれば、始発の金沢駅で窓側の席はすべて埋まってしまった。
(写真 金沢駅発車前の「はくたか1号」の車内)
金沢を定刻6時08分に発車。倶利伽羅峠を越えて富山県に入り、高岡・富山に停車すると、それぞれ金沢に近い数の乗車があって車内は立客が出る混雑になった。
(写真 富山から先、しばらく富山地方鉄道と並走)
梅雨明けを思わせる快晴の朝で、北陸地方の平野に広がる田園風景が美しい。
直江津駅ではさらに乗車があり満員状態になって北越急行線内へ。
乗降に時間がかかり直江津発車時点で数分遅れだったが、在来線最高を誇る北越急行線の最高時速160kmに達したのは2回ほどで、線内の大半の区間は130km程度で走行していた。
六日町から上越線に入ると速度は落ちるが車窓は一段を美しく、満員の車内とは対照的な雄大な風景が広がる。
定刻の8時41分に遅れること3分。はくたか号の終点で上越新幹線乗り継ぎの越後湯沢駅に到着。接続の東京行MAXとき310号の発車は8時49分。
なぜもっとドアの多い車両にしなかったのかと思うほど下車に時間がかかり、東京や大阪近郊の駅に比べれば、乗り換えの自動改札にひっかかる人も多い。
人波の中を急いだつもりだったが、新幹線ホームにあがると同時にMAXとき310号の2階建て編成が入線。
自由席を求めて前方へ走り駆け込むように乗車した。
MAXとき310号は2階建車両を16両連ねており、端の方の車両では3席並びのシートが全て空席というところもあって、在来線との輸送能力の差を見せつけていた。
余裕のない乗り継ぎのせいで、MAXとき310号も3分遅れて発車。
新幹線の本数が多い岡山駅における山陽新幹線への乗り継ぎと違い、「乗り遅れて次の便に」ということになると東京到着が大幅に遅くなってしまうこともあって、
慣れない人には不安な乗り継ぎだろう。
金沢や富山の人が北陸新幹線を待ち望む気持ちはよくわかる。
(写真 東京駅に到着したMAXとき310号)
MAXとき310号も越後湯沢~東京間ノンストップの速達列車だが、昨今の300kmや320kmに比べれば、流しているようにも思える速度で関東平野を南下。
ダイヤにはかなり余裕があるようで、終点東京駅到着は9時55分ほぼ定刻だった。
あとがき
本乗車記の翌年の2015年3月に北陸新幹線が金沢まで開業。金沢~東京間は最速便で2時間30分台で結ばれるようになりました。
2020年現在では、記事中の「はくたか1号」に近い6:00に金沢駅を発車する北陸新幹線「かがやき500号」に乗車すると東京駅に8時32分に到着できるようになっています。
つづきはこちら。