長野県小諸市。小諸駅。
今回はここからJR東日本小海線に乗車します。
小海線は小諸から北陸新幹線接続の佐久平駅・小海駅などを経由して山梨県に入り、中央本線の小淵沢に至る78.9kmの路線です。
小諸駅は1997年の北陸新幹線開業まで、信越本線の主要駅の一つに数えられ、上野と長野を結んでいた特急あさま号も停車していました。
駅舎内は国鉄時代の名残りも感じられます。
乗車する列車は小諸発12:04の小淵沢行普通列車。
小海線の定期列車は全て普通列車で、小諸周辺では1時間に1本程度の運転ですが、途中の中込や小海までの便が多く、終点小淵沢まで運転する定期列車は1日7本しかありません。
5番線で発車時刻を待つ小海線列車。
発車時刻まで30分でありましたが、すでに乗車可能でした。
車両は平成19年に世界で初めて定期列車に導入されたハイブリッド気動車キハE200系の2両編成です。
発車時には蓄電池の充電電力を使用するため、気動車特有のディーゼルエンジンの唸りを聞くことはありません。
小海線での運転を開始して14年になりますが、この車両で運転される列車は今でも時刻表に「ハイブリッド車両で運転」の注釈が添えられています。
小諸を発車した列車は、しばらく複線電化のしなの鉄道線の軌道と並行して進みます。
並行区間では、小海線には東小諸、乙女の2駅が設けられていますが、しなの鉄道線には駅はありません。
なお小海線は終点小淵沢まで全線が単線非電化です。
乙女駅ホームの電柱に設置された路線図。
右側に各駅の標高が記されています。
小海線は全線が標高600m以上に位置しています。
小諸方から見ると中込までは標高700m近くで小刻みなアップダウンを繰り返しますが、中込からは山梨県境に向けて登り勾配が続き、海尻から終点小淵沢の一つ手前甲斐小泉までの8駅は標高1000mを越えています。
そのうち佐久広瀬から甲斐大泉の表記の横には1位〜5位の文字があります。
これは小海線内での標高ランキングではなく全JRでの順位です。
参考までにJR西日本で最も標高が高い駅は木次線の三井野原駅でその標高は727m。
小海線がいかに高い所を走っているかがわかります。
三岡で行き違った小諸行の普通列車はキハ110系での運転。
キハ110系はJR発足から間もない1990年に登場した高出力気動車で、勾配が続く小海線では早い段階で国鉄型気動車からの置き換えが進みました。
現在でも小海線の列車の大半はこの車両で運転されています。
12:19。高架の佐久平駅に到着。
小海線の高架下には北陸新幹線の佐久平駅があります。
佐久平駅は新幹線乗り換え駅として1997年の北陸新幹線長野開通と同時に開業しました。
北陸新幹線長野開業から間もなく24年。
佐久平駅周辺には新しい街が形成されていますが、その街周辺で移動の主役となっているのは、新幹線でも小海線でもなくクルマであることがよくわかる光景です。
12:30着の中込では臨時列車HIGH RAIL1号と行き違い。
HIGH RAIL号は土曜休日などに運転される臨時快速列車で全車指定席。
普通列車より10分から20分短い2時間少々で小海線を走破します。
古い木造住宅が残る羽黒下駅。
列車は千曲川に沿って進み小海の市街地に入ります。
13:05。小諸から約1時間で標高865mの小海に到着。
小諸から30.6km、20駅目にあたります。
ここまでの平均駅間距離は1.5km。対して小海から終点小淵沢まで48.3kmに途中駅は9駅しかなく平均駅間距離は4.8kmと3倍の開きがあります。
これは沿線人口の差に加え、小諸〜小海間が私鉄てして開業し後に国有化されたのに対し、小海〜小淵沢間は最初から国鉄路線として建設されたという歴史の違いも関係ありそうです。
13:32。佐久広瀬駅。
小海から山間の勾配を登り続け、この付近で標高は1000mを越えます。
小海線の小さな駅では写真のような三角屋根の待合室がよく見られます。冬季の降雪も少なくないのでしょう。
13:52。JRで最も標高の高い駅として有名な野辺山に到着。小諸方から来ると長野県内最後の駅でもあります。
野辺山駅のホームには「JR線最高駅野辺山。標高1345.67m」の標柱が立っています。
野辺山の手前まで山間の登り勾配が続いていましたが、野辺山からしばらくは八ヶ岳を望む高原を快走します。小海線には八ヶ岳高原線の愛称もあります。
野辺山駅を発車して約3分。
列車は「JR鉄道最高地点標高1375m」と記されたポールの前を通過。
列車はこの付近で長野県から山梨県に入り、終点の小淵沢に向け下り勾配に転じます。
14:00。山梨県内最初の駅清里に到着。
清里はバブル期に行楽地として注目を集め多くの人で賑わったことを覚えている方も多いと思います。
JRも東京方面から小淵沢まで中央本線を走ってきた電車の前に、ディーゼル機関車を連結し、非電化の小海線へ電車を直通させる荒技で清里への需要に応えたこともあります。
ある指標で見れば、あの時代から30年余りが経過した今でも当時を超えられないのは事実であり「当時は華やかで良かった」と言うことは簡単かも知れませんが、
スマホ以前にインターネットがなかったという話は差し置いても、
公共の場所での受動喫煙は当たり前、これまでに国内でコロナウイルスが原因で亡くなられた方の数に近い数の命が毎年交通事故で失われ、
鉄道の旅でもエレベーターやエスカレーターがあるのは大都市圏の一部の駅のみ、少し田舎へ行けばトイレは汲み取り式も珍しくなかった時代。
当時を知っている世代も含め今の多くの日本人には耐えられないのではないでしようか。
清里から標高1000mの森林の中を下ること20分。
松本方面からの中央本線と合流すると間もなく終点の小淵沢駅に到着します。
14:23。終点小淵沢駅に到着。
この日の小淵沢駅は標高886mの高地とは思えない猛暑の中にありました。
小淵沢駅からは中央本線の普通列車で甲府に移動し、
JR東海の特急ふじかわ号に乗り継いで静岡方面へ向かいました。
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