本記事は下に添付の記事の続きです。
仙台駅東口。午前10時。
今回は2020年3月に東日本大震災以来9年
ぶりに全線復旧を果たした常磐線を走る特急「ひたち」で東京品川へ向かいます。
「えきねっと」で購入した仙台→品川の指定席特急券・乗車券。
トクだ値10という割引商品ですが8350円と割安感を感じないのは、
仙台→東京都区内の距離の長さ故のこと。
品川まで373.8kmは、東京から東海道線を西に下ると名古屋(366.0km)の先、稲沢駅の手前辺りに相当します。
仙台駅在来線改札口前の発車表示。
仙台近郊の行先表示が並ぶ中に表示された「特急ひたち14号・10:13・品川・6番線」の文字が目立ちます。
ひたち号が発車する6番線に降りる階段の壁面は、運転再開から半年以上を経てもそのPRで埋められていました。
ひたち号は仙台行に限らずE657系の10両編成での運転に統一されています。
震災前の未来予想図では、ひたち号の運転を途中の「いわき」で分断し、
いわき~仙台間は、4両程度の短編成の特急を運転することが計画されていたようですが、
震災による長期不通の間に計画が変更され、東北新幹線開通前を思わせる10両編成の特急が仙台駅に入線することになりました。
始発の仙台駅から乗車する客は少なく静かに発車時刻を待ちます。
短い編成で足りるとされていたことも頷ける風景です。
車両デッキ部分の編成案内。
編成中1箇所のみの設備は、中程5号車のグリーン車のデッキにまとめられていることがわかります。
指定の4号車車内。発車直前でも乗客は5人程でした。
かつてはグリーン車のものだった可動式の枕がついた座席。
一方、最近の車両ではフットレストは省略されることが多いようです。
肘置きにはコンセントが内臓されています。
10:13定刻に仙台駅を発車すると自動放送のあと、車掌さんの肉声放送で終点品川までの全停車駅と到着時刻が案内されました。
在来線屈指の長距離特急の旅立ちにふさわしい長い車内放送は動画に収録しました。
仙台地下鉄南北線のと接続駅長町駅付近の高架線を走行。
特急ひたち号は仙台を発車すると、次は常磐線の相馬まで30分以上無停車で走ります。
仙台発車から15分程、東北本線を走行し岩沼駅を通過。
岩沼駅から少し進んだ地点で、東北本線と分岐し、ひたち号はこの先上野まで常磐線を進みます。
東北本線と別れてすぐに阿武隈川の河口近くにかかる長い鉄橋を通過。
亘理駅通過中に撮影。
ホームに隣接する城郭風の建物「悠里館」には、図書館や郷土資料館などが入居しています。
ここから南の区間の常磐線は東日本大震災による津波被害のため、約2年に渡り運休となり、亘理駅はその間仙台方面からの列車の折り返し駅となっていました。
亘理の次の浜吉田駅から3駅先の新地駅付近までは津波の被害が甚大だった区間で、
復旧に際しては、線路の内陸移設と高架化が施工され、震災から5年9ヶ月後の2016年12月に運転が再開されました。
線路付け替え区間内にあった山下、坂元の2駅も移転のうえ新築されています。
田園地帯に延びる付け替え区間の新しい高架線。
新地駅で旧線に復し、
10:51最初の停車駅相馬に到着。
すでに宮城県を抜け福島県に入っています。
E657系の快適な乗り心地のため、速度が出ているという感じがしませんが、
旧線に復してもコンスタントに100km 近い速度を維持していました。
11:06原ノ町駅に到着。
時刻表では原ノ町の次の停車駅は浪江ですが、
途中の桃内駅に運転停車し下りの「ひたち3号」と行き違います。
「ひたち3号」は上野を8:00に発車し仙台に12:31に到着します。
ひたち号は概ね1時間に1本の運転で、大半は福島県の「いわき」までの運転ですが、下りの3号、13号、19号、上りの14号、26号、30号が例外的に仙台まで直通する格好です。
11:25浪江着。
この先、富岡駅まで4駅20.8kmは震災時に発生した原発事故による放射能被害の影響で最後まで不通区間として残っていました。
復旧は2020年3月。その期間は9年に及びます。
浪江の次の双葉駅にも連続停車しますが乗降はほとんどみられません。
元は行き違い可能だったものを、単線一面の棒線駅としての復旧させたようです。
この付近では、何らかの理由で列車が運行不能になった場合、
線路沿いの道路にバスなどを横付けして乗客を「安全な場所」に誘導することになっているようです。
11:36大野着。
大野駅は、事故のあった福島第1原子力発電所の最寄り駅です。
大野駅周辺の車窓。
鉄道が復旧し、駅周辺の道路の通行もできるようですが、
道路に面した公園は、よく見ると規制線が張られているように見え、
駅周辺を行き交う人の姿も見られませんでした。
震災直後には目を覆いたくなるような惨状が日々報道されていた津波の被害を受けた地域が、
数年単位の時間の経過の中で、すでに新しく生まれ変わりつつあるのに対して、
放射能被害を受けた地域の復旧復興は鉄道の復旧によって、ようやく「端緒についた」そんな印象を受けました。
一見、自然豊かで長閑に見える車窓風景ですが、
長い間、人間が暮らせないレベルの放射能に晒されてきたのかと思うと、複雑な気持ちになります。
11:44富岡駅に到着。駅周辺は更地が目立ち、その先には太平洋の水面が見えています。
11:58広野着。
駅の海側には、震災後に整備されたと思われる真新しい駅前風景が広がっていました。
「今は山中、今は浜、今は鉄橋渡るぞと、思う間もなくトンネルの闇を通って広野原」
有名な唱歌「汽車」の歌詞ですが、この付近の常磐線の車窓を歌ったものとも言われています。
仙台以来の大きな市街地が車窓に広がると、列車は福島県最大の都市「いわき」に到着します。
12:16。いわき着。
福島県いわき市の人口は約33万人、福島県浜通りの中心で、
品川・上野からの大半の「ひたち号」がここまでの運転となっています。
また仙台発車後間もなくの岩沼駅で別れた東北本線の郡山へ向かう磐越東線との乗り換え駅でもあります。
「いわき」では、まとまった下車とそれを上回る乗車があり、
閑散としていた車内は次第に賑やかになってきました。
つづき「いわき」から終点品川までの乗車記はこちらです。