西浦特急 鉄道と旅のブログ

鉄道・飛行機などで国内外を旅行した様子のほか、鉄道を中心に交通全般の話題を取り上げます。

緑が丘に見る粟生線問題の本質(神戸電鉄粟生線・北条鉄道訪問記2)

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2018年秋に橋上駅舎と駅ビルが完成した神戸市北区の神戸電鉄鈴蘭台駅。大都市近郊にありながら利用の減少がつづき存廃問題が浮上している粟生線の起点駅でもあります。

 

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鈴蘭台駅の時刻表、写真下の下りは当駅から分岐する有馬線・三田線方面と粟生線方面へそれぞれ15分毎、両方が乗り入れる上り新開地方面は粟生線からの列車が準急、有馬線からの列車が普通で計1時間8本の運転になっています。

下りの場合、有馬線方面の列車はほとんどが有馬口駅から三田線に入り終点の三田まで行きますが、粟生線の列車は半数が2駅先の西鈴蘭台までの運転です。

 

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今回は11時39分発の志染行で粟生線方面へむかいます。車両は最新型6500系の3両編成でした。前記事で鈴蘭台駅まで乗車した経年50年に達する1100系を置き換えるため順次導入されています。

 

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新車の匂いがする2019年製です。なお神戸電鉄の営業車両はすべて地元の川崎重工製です。

昔は国鉄を介して三田からの搬入もあったようですが、現在は道路からの搬入がしやすい粟生線の市場駅まで陸送して線路に乗せているようです。

川崎重工の工場から神戸電鉄のターミナル新開地までは徒歩でも行けそうな距離なのですが新開地は地下駅ですし条件が良い場所が見つからないのでしょう。

 

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内装は資本がつながる阪急電鉄と似た配色で、座席端部のパーティションの大型化や多言語対応の情報装置など最近のトレンドを反映したものになっています。

 

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鈴蘭台駅発車直前。

後部運転席に(先頭にも)置かれているのは粟生線利用推進のキャラクター「しんちゃん」のぬいぐるみ。後ろ姿は粟生線の起点であることを示す0キロポストを見つめているようにも見えます。

 

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鈴蘭台駅を発車するとすぐに急勾配を上り、トンネルを抜けたところが最初の停車駅鈴蘭台西口です。写真右端に見える勾配票の50は1km進むごとに50mの高低差があることを示しています。

道路の勾配標識の5%と同じ意味ですが、重量の割に接地面積が小さく踏ん張りが効かない鉄道にとってはかなりの急勾配で、国内の鉄道でこれを上回るのは特殊な構造を用いるものを別にすれば箱根登山鉄道(80‰)と京阪電気鉄道京津線(61‰)くらいではないでしょうか。

踏ん張りが聞かないことの裏返しとして走行抵抗が少ない鉄道の場合では、仮に50‰の連続下り勾配を40km/hで走行中にノーブレーキ状態になると20秒で70km/hを超え、1分後には130km/hに達するといわれています。

神戸電鉄の車両は下り勾配走行時の何重もの安全対策と、逆に満員状態で50‰上り勾配途上に停車した場合に「坂道発進」ができるだけのパワーが最低条件として求められます。

 

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鈴蘭台西口の次の停車駅西鈴蘭台で鈴蘭台周辺のニュータウンの家並みは尽き、列車は山深い区間を走行します。

 

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山間部を走行するうち神戸市北区から西区に入り木津駅に到着。行き違った新開地行も最新型でした。

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木幡駅付近からは再び景色が開け、沿線の丘陵地には新興住宅地の家並みがつづいています。

しかし写真のように新興住宅地として開発されたエリアと粟生線の線路の間に未開発の地域を挟んでいるため、住宅地から徒歩で木幡・栄などの駅へアクセスしようとすると20分程度かかる場合が多く、その時間があれば住宅地内を通り神戸市営地下鉄西神中央駅へ向かうバスで西神中央駅まで行けてしまうというのが実態のようです。

西神中央から地下鉄に乗れば三宮直通であるという点も、新開地での乗り換えが必須の神戸電鉄(粟生線)の分を悪くしています。

 

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粟生線は鈴蘭台方から順に鈴蘭台~西鈴蘭台が単線、西鈴蘭台~藍那が複線、藍那~川池信号所までが単線、川池信号所~押部谷までが複線となっています。

沿線人口が急増した昭和40年代~平成初期にかけて、鈴蘭台~押部谷の全線複線化を視野に入れながら、工事が容易なところから複線化していった結果だと思いますが、工事は利用者数がピークを迎えていたバブル崩壊の頃には一部を除いて実質的に凍結されていたようです。

神戸電鉄がその時点でどの程度「今の粟生線の状況を見極めていたのか」というところは個人的に興味があります。

 

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神戸市内最後の停車駅押部谷から先は全線が単線です。

 

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三木市に入って最初の停車駅緑が丘で下車しました。

緑が丘駅は語弊のある言い方かもしれませんが、大都市近郊路線でありながら利用の減少がつづく粟生線の背景を知る上では都合のよい駅です。

 

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緑が丘駅は三木・神戸市境に近い単線一面の小さな駅ですが、昭和46年に街開きが行われた計画人口12000人の緑が丘ネオポリス(=三木市緑が丘町)の玄関駅として機能してきました。

街びらきから10年に満たない昭和55年には緑が丘町の人口はほぼ計画人口に達しました。

駅の利用者数は平成初期のピークには乗降合わせて7000人程度ありましたが、その後緑が丘に移り住んだ団塊世代の退職に加え、通学で粟生線を利用していた子世代が就職や進学で沿線を離れるなどしたことで、現在はピークの半分程度まで減少しています。

現在の緑が丘町の人口は9000人程度と駅の利用者ほどは減っていませんが、高齢化率は三木市で最も高く約40%に達しています。

 

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緑が丘など粟生線沿線からの通勤先のメインとなる神戸市最大のターミナル三宮までの運賃は710円、所要時間は新開地での乗り換え時間も含め45分程度となっていますが、

 

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駅前にあった駅周辺案内をよくみると

 

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緑が丘はほぼ戸建て住宅だけで構成されたニュータウンのため人口に比して面積が広大であり、また駅が開発地の中心ではなく玄関的な位置づけになっているため、緑が丘町内でも駅からの直線距離が1kmを超える区域がかなりあり、バブル期に緑が丘につなぐ形で開発されたエリア(写真左部分)では駅から2kmを超える区域も存在します。

これは緑が丘駅から神戸電鉄に乗車する前に、まず駅までバスでアクセスする必要があることを意味します。

 

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このような事情を踏まえ、粟生線沿線を営業エリアに持つ神姫バスは神戸電鉄の駅と沿線ニュータウンのアクセスを担う神姫ソーンバスという系列会社を立ち上げ粟生線のフィーダー輸送を担ってきましたが、バスと電車を乗り継ぐとバス乗車から三宮到着までは1時間程度、運賃は合計で800円以上というのが実態になっていました。


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そうした状況に一石を投じたのが、ゾーンバスではなく神姫バス本体が運行を始めた恵比須快速線と呼ばれる沿線ニュータウンと神戸市の中心三宮を直結するバス路線です。

バスの運賃は三宮までの電車の運賃を若干下回る程度ですが、ニュータウン住民からすればこれまで粟生線の駅へ出るために利用していたバス停からバスに乗れば、そのバスで最終目的地(三宮)まで行けることになったうえ、運賃も従来のバス+電車の乗り継ぎとの比較では200円程度安くなるとあって利用者は急増しました。

2001年の開設当初は終日1時間に1本程度でしたが、増発につぐ増発で写真のように緑が丘駅前では平日は6時40分から7時40分の1時間で11本が発車するまでに成長しています。

バスは緑が丘駅から先はニュータウンを出て粟生線沿いの県道を走り、阪神高速北神戸線と有料の新神戸トンネルを経由して三宮へ向かうため、緑が丘駅からの所要時間は電車と大差なく、渋滞による大幅な遅れもあまり発生していないようです。

 

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新設の三宮路線とは別に神戸市営地下鉄の西神中央駅に向かうバスも、粟生線の輸送がピークを迎えていた当時と変わらない本数を維持しています。

西神中央駅へ向かう路線や三宮へ直行するバス路線への乗客の転移などは緑が丘に限らず粟生線沿線のニュータウン全体でみられる現象ですが、バスや地下鉄との競合よりはるかに深刻なのは人口動態的な問題だと思います。

住宅を購入する年齢というのは概ね決まっています。緑が丘の場合は昭和50年前後に子育てを始めた団塊世代が移り住み、ニュータウンで育った団塊ジュニア世代が沿線外へ転出。団塊世代が残ったニュータウンは高齢化が進んでいるというのが現在の段階ですが、それで話は終わりではありません。

10年後・20年後はどんな姿になっているのでしょうか。「土地付き一戸建て」ばかりが並ぶ粟生線沿線のニュータウンは集合住宅が一定の割合を占める他のニュータウンに比べてより深刻な状況を迎えることが危惧されます。 

鉄道路線としての「粟生線問題」というのは、地域としての「粟生線沿線問題」の中の一つのカテゴリーに過ぎない。深く考えているとそんな気がしてきました。

最後はやや重たい話になってしまいました。

次の記事では後続の電車で三木市の旧市街地方面へ歩を進めます。

つづきはこちらです。

 

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